2018 年 10 月 16 日
オーディオ界の巨星墜つ
すでにご承知の方もいらっしゃると思われますが、かねて病気療養中の菅野沖彦先生が平成30年10月13日に永眠されました。
訃報に接し先生との忘れ難い思い出が去来している。
筆者がオーディオに目覚めた1960年代は日本のオーディオ揺籃期を迎え、既に菅野先生は朝日ソノラマの編集長として活躍されていた。
戦後の混乱期を乗り越え、精神的豊かさを求め始めていた庶民はテレビとならび当時ステレオと称されていたオーディオ機器を所有することが社会的広がりを見せ始めていた。
高価なビニールレコードに代わりソノシートが庶民の代表的なパッケージメディアであり、筆者にとり赤色で片面収録のソノシートで聞く音楽が先生との最初の出会いであったことを後に知ることとなった。
長じて筆者は企業人となり、オーディオ機器設計者の立場で先生の謦咳に接する幸運に恵まれた。
先生は製品の試聴に先立ち、政治、経済、社会事象の多分野にわたりオーディオ評論と同様の深い考察から鋭い視点で所感を述べられた。
先生のリスニングルームに参じたわれわれメーカーの人間は、まさに「天声人語」(フェイク新聞として有名な某誌のそれではない。)として聞き入ったものである。
オーディオに限っても、1980年代安易にハイエンドオーディオを標榜するミニコンメーカーに抗して本格オーディオの呼称を提唱された。ことや、ウインドウズ95の登場に際しては、ITの急速な進展により急速に普及し始めたパソコンが有する情報処理機能を一般庶民では制御不能となるのではないかと危惧された。
CDサイズがパッケージメディアの最小サイズであり、これを超えてサイズが縮小あるいはパッケージを不要とする技術の出現は、パッケージメディアひいては音楽文化の危機につながると警告されていた。
先生はネットワークオーディオに対しては懐疑的であったと伺っている。
振り返ればまさに現代のオーディオ状況を言い当てており予言に満ちた至言であったことを知る。
あるときは「心は物を求め、物は心を進める」と訴求する仏具店の広告を引用され、まさに「音楽はオーディオを求め、オーディオは音楽を進める」だ、と笑いながら我々に語られた。
物と心、抽象と具象、感性と理性、さらにはアナログとデジタルといった対立概念を用いてオーディオを分析、論理的に訴えられていたが、後年レコード録音家、レコード演奏家というオーディオ界の新たな座標を打ち立てられた。
当上杉研究所を引き継ぐ束の間の業界浪人時代に「レコード演奏家訪問」のご取材で先生を拙宅に招く栄誉に浴したことは、筆者のオーディオ人生における最大のひのき舞台でありまさに僥倖であった。
ご来訪の1週間前より間違いのないよう入念に日程を組み、最大限の緊張を持って当日を迎えたことを思い出す。
先生療養中ゆえに上杉研究所を引き継ぐ旨を書面で報告したが、後日病を押して電話ではあったが、はっきりとした肉声で筆者がこの任に就くことを喜び、励ましのお言葉を頂いた。
これは先生との約束である。
筆者が上杉研究所を終の職場と確信した瞬間であった。
先生がオーディオの第一線から退かれて久しいが、先生と同時代を生きていることがこの仕事をしている筆者の励みであった。
オーディオ秩序の要石が去り、オーディオ界の混乱に拍車がかかりそうであるが、時代は先生が懸念されたその先へ行ってしまったのであろう。
オーディオ界不世出の巨人 菅野沖彦先生のご逝去に心より哀悼の意を表します。
平成30年10月16日
上杉研究所 代表取締役社長 藤原 伸夫